音楽とヴァイオリンと。

ヴァイオリニスト、ヴァイオリン講師の内山恭子です。演奏活動の他、日々音楽や人と関わる中で感じたこと、私の人となりを、飾らず正直な言葉で綴っていきます。

ヴァイオリン教室のご案内(生徒募集中)

現在、つくば市内の自宅にてヴァイオリン教室を開講しています。


♫レッスン風景♫



♫講師演奏風景♫(幼稚園、保育園での演奏風景)



♫講師演奏動画♫
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大学在学時からの指導経験及びソルフェージュ講師の経験を生かしたレッスンで、年齢や経験を問わず、生徒さんのレベルやペース、目標に合わせて指導いたします。

ヴァイオリンで魅力的な音を奏でるためには、練習と時間が必要ですが、その分弾けるようになった時の喜びや感動は格別です!ご一緒にその瞬間を分かち合いたいと願っています。

またソルフェージュ、楽典の個人レッスンも承っております。

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♪入会金無料、無料体験レッスン実施中。
♪体験レッスンは、5歳以上のお子様より承ります。
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♪レッスン料金、開講日は下記をご参照下さい。時間及び回数につきましては、お一人お一人のご都合や年齢、経験によりご相談の上決定致します(可能な限り柔軟に対応致します)。
♪オンラインレッスンも実施しております。詳細は個別にお問い合わせ下さい。

〈教室までのアクセス〉
つくばエクスプレスつくば駅よりバスで約10分
JR常磐線荒川沖駅西口よりバスで約15分

〈開講日〉
現在、水曜日と木曜日を優先的にご案内しております。時間及び他曜日の開講状況につきましては個別にお問い合わせ下さい。

〈料金〉(月謝制)
◆子供(5歳~中学生)
月3~4回(1レッスン30分) ¥7,000

◆大人(高校生以上)
月3~4回(1レッスン30分) ¥8,000
月2回  (1レッスン45分) ¥7,000
月2回  (1レッスン60分) ¥8,000

◆単発コース(大人の方のみ)
1レッスン60分 ¥5,000

◆音高・音大受験コース
1レッスン60分 ¥5,500

ソルフェージュ・楽典個人レッスン
別途お問い合わせ下さい

◆オンラインレッスン
別途お問い合わせ下さい

〈講師プロフィール〉
内山 恭子(うちやま きょうこ)
桐朋女子高等学校音楽科、桐朋学園大学音楽学部卒業。同大学研究科修了。
第3回日本奏楽コンクール弦楽器部門第3位。
2016年度茨城県芸術祭県民コンサート奨励賞。
第82回東京国際芸術協会新人演奏会、第41回茨城県新人演奏会、第10回取手地域新人演奏家演奏会出演。
現在演奏活動の傍ら、自宅にて個人レッスン及び弦楽合奏の指導にあたる。
桐朋学園大学音楽学部附属子供のための音楽教室元講師。 島村楽器講師。つくば市在住。

「創る」のではなく、既に「在る」

小松亮太さん著『タンゴの真実』という本を読了しました。

タンゴはクラシックとは違う言語を話す感覚があり、弾く度に「う〜ん、コレじゃタンゴじゃないよなぁ…」感が否めず、

 

「このままぼんやりと弾くのは、どうも具合が悪いな」と思い、手に取りました。

 

400ページを超える本作、紹介されている音源や動画を全ては追いきれていませんが、、

 

タンゴがどんな文化圏で育まれた音楽なのか。

タンゴの定義とは何か。

他のラテン音楽とどう違うのか。

バンドネオンは何故タンゴに欠かせない楽器となったのか。

ピアソラだけが突出してクローズアップされるようになった背景、

などなど。

 

まさにタンゴの基本の「キ」な内容からニッチなエピソードまで網羅された、大満足な書でした。

 

勿論、本を一冊読んだ位で理解出来る程、浅い世界ではないことは重々承知していますが、

これまでぼんやりとしか捉えられていなかったタンゴの輪郭が、徐々に浮かび上がってきました。

 

もっといえば、私はタンゴを長らく「食わず嫌い」していました。

その理由も読み進めるにつれ、だんだん明らかになっていきました。

 

これまで私が数多く耳にしていたタンゴやピアソラ作品の演奏は、クラシックやジャズ、ポップスといった、タンゴ界から見れば違う畑の演奏家によるものだったのです(そういった演奏の方が、巷には多数出回っていますし)。

 

小松さんが本書で紹介されているタンゴ界の名ヴァイオリニスト達を初めて認識し、いくつかの動画や音源を目に、耳にしたことで、

私の中にあった「歪められたタンゴ像」にヒビが入って、姿の異なる像が見えてきたような。

 

拝読前とは全く違う気持ちでピアソラの『タンゴの歴史』に向き合えています。

 

来月のつくばサロンコンサートで、ピアソラと共に演奏するルクレールも今回初めて取り組む作曲家で、こちらもタンゴと同じくアプローチが全然見えてこなかったのですが、

 

先日バロックヴァイオリンの先生にレッスンして頂いたことで、不思議とタンゴにも共通する部分が見えてきました。

 

クラシックにしろタンゴにしろ、演奏する私は言ってみれば異邦人です。

 

音楽は生み出された土地や時代、言語、文化、歴史的背景と切っても切り離せないもの。

作品を形作る「様式」もそこから派生している、と言っても過言ではないと思います。

 

そういったこと一つひとつを「知る」だけではなく、細胞レベルにまで取り込まないと、フランス人のようにルクレールを演奏したり、ブエノスアイレスの人のようにピアソラを演奏したりするのは非常に難しい。

 

しかし同時に「細胞レベルにまで取り込む」ことが演奏の主目的ではない、とも思うのです。

 

一昨年、庄司紗矢香さんが日本でツアーをされるタイミングで掲載された朝日新聞のインタビュー記事で、非常に印象に残っている言葉があります。

 

「こういう演奏がしたい、と思っているうちはまだダメで、無意識の状態になって初めて、最も自分の心に正直なものが出てくるのだと思う。すでに存在するものを、きこえるものにする。つくるのではなく、気付き、音にして届ける。これって、あらゆる芸術に通じることですよね」

 

コンサートでの庄司さんの演奏は、まさしくこの言葉を体現するものでした。

 

譜面に忠実に演奏しましょう、作曲家をリスペクトしましょう、作品の様式を理解しましょう、作曲当時の奏法を再現しましょう…、、

 

音大で勉強した人間なら、先生に口酸っぱく言われてきた言葉だと思います。

 

私もその一人ですが、一方で「譜面に振り回され過ぎている」と言われることもありました。

 

譜面に書かれた通りに弾く。様式感を持って演奏する。

 

いずれも疎かにしてはならないけれど、

 

学生の頃の私はそれらを遂行することが主目的になってしまっていたのだ、と。今になって、ようやく分かりかけてきました。

 

拍の中に記譜通りにただ音をはめ込むと、無味乾燥になる。

音楽が死んでしまう。

 

譜面に書かれていることを遂行するのではなく、

作品に宿る「精神」を、音という聴こえる形にして送り出すこと。

 

バロックもタンゴも、記譜とは異なるリズムや装飾で演奏する、一種即興的な風習があります(それぞれやり方は異なりますが)。

 

どんな即興をするか?それは奏者に委ねられている訳です。

 

しかしそれは奏者が頭を捻らせた結果生まれる「創作」ではなく、「すでに存在する」芸術と向き合う過程で、自然と呼び起こされるものなのだと思います。

 

それが演奏という芸術の本質なのかな、と。庄司さんの言葉が、より腑に落ちたような感覚です。

 

こうしてやろう、ああしてやろう、という雑念、邪念をバッサリ捨てて、己の心に正直になる。

 

まっさらな気持ちになった時に初めて、既に「在る」芸術が「音」になるのでしょう。

 

果たして私はその境地に辿り着けるのか?

 

長い道のりになりそうです。。

【10月の演奏会のお知らせ】※更新しました

まだまだ暑い日が続きますが、少しずつ秋の気配も感じられるようになってきました。

今回は10月に出演させて頂く演奏会のお知らせです。

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♪パルティロビコンデイ

◆日時
2022年10月9日(日)
11:20頃出演予定

◆会場
常陸太田市民交流センター
パルティホールロビー

◆入場料
無料

◆曲目
H.ヴィラ=ロボス:ブラジル風バッハ第5番よりアリア
A.ピアソラ:「タンゴの歴史」よりボルデル1900、カフェ1930

◆出演
稗田隼人(クラシックギター、編曲)
内山恭子(ヴァイオリン)


♪つくばサロンコンサート

◆日時
2022年10月21日(金) 18:40開場 19:00開演
※開場、開演時刻が変更となりましたのでご注意下さい!

◆会場
つくば文化会館アルスホール
(つくばエクスプレスつくば駅A2出口より徒歩5分)

◆入場料
一般¥1,500 学生¥1,000 未就学児無料

◆曲目
L.ボッケリーニ
 弦楽五重奏曲 ホ長調 作品11 第5番より第3楽章「メヌエット

J.M.ルクレール
 ヴァイオリンと通奏低音のためのソナタ ニ長調 作品9 第3番

H.ヴィラ=ロボス
 ブラジル風バッハ第5番よりアリア

A.ピアソラ
 タンゴの歴史

◆出演
稗田隼人(クラシックギター、編曲)
内山恭子(ヴァイオリン)

◆詳細、チケット購入
passmarket.yahoo.co.jp

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10月9日は、常陸太田市民交流センター・パルティホールのロビーコンサートに出演させて頂きます。初めてお邪魔する会場、今から楽しみです!入場無料ですのでお近くの方、是非お気軽に足を運んで頂けましたら幸いです。

10月21日の「つくばサロンコンサート」シリーズ、半年振りに出演させて頂きます。

私が稗田君と共演させて頂くようになったのは大学を卒業して以降のこと。

ヴァイオリン弾きが共演する楽器としては珍しい「クラシックギター」について少しずつ教えて貰ううちに、この組み合わせだからこそ生み出せるサウンドがある、と感じるようになりました。

一体それがどんな響きなのか?は、是非会場で!

ご来場、お待ちしております♪

「音」で語り継がれる想い

8月9日(火)、『未来への伝言 つくば〜平和への祈りwith被爆ピアノ〜』にお越し下さった皆さま、どうもありがとうございました。

本公演を企画、主催して下さった朗読家の飯島晶子さん、舞台スタッフの皆さま、お誘い下さった脇田優子さん、共演の皆さまにもお礼申し上げます。

ウクライナで許し難い事態が起きている今、平和を祈る気持ちが一層高まる本番となりました。

そして、茨城で最も優れた音響を誇る(と言っても過言では無いと思う)ノバホールの大ホールで、多くのお客さまや舞台関係者の皆さまとご一緒出来たこと、非常に嬉しく思います。

茨城県議会議員の星田こうじさんがTwitterで、写真と共に公演の様子を投稿して下さいました。ありがとうございます。


終演後、楽屋通路にてつくば市長の五十嵐立青さん、共演者の皆さまと↓

(上列左から)末吉千枝子さん(フルート)、木幡奈緒美さん(コントラバス)、飯島晶子さん(朗読)、五十嵐立青つくば市長、脇田優子さん(ヴィオラ)、松本ゆり子さん(チェロ)
(下列左から)浅井寛子さん(ピアノ)、鳥生真理絵さん(ヴァイオリン)、私

本公演の主役は「被爆ピアノ」。被爆の大きな衝撃に耐え、生き残ったピアノを演奏可能な状態に再生させるべく、楽器の微細な調整を行っていらっしゃるのが、ピアノ調律師の矢川光則さんです。

楽器内部の弦を張り替える際も、元々使用されている材質に近いものを張っていらっしゃるそう。そんなこだわりからも「当時の楽器の音色を守り、今を生きる人達に届けたい」という矢川さんの熱い想いが透けて見えます。

広島や長崎で被爆したピアノを自前のトラックに載せ、全国各地にその音を届ける活動を続けていらっしゃる矢川さんのお姿には、尊敬以外の言葉が見つかりません。

今回の公演で演奏されたピアノは広島で被爆したピアノとのこと。

どこまでも真っ直ぐ伸びていきそうな力強い音に、驚きを隠せませんでした。

ノバホールで通常使用されるのはグランドピアノですが、被爆ピアノはアップライト。

会場のキャパシティからして、アップライトの音は客席の後ろまで届くのだろうか…などと思っていたのですが、杞憂でした。

本番ではマイクを使用したものの、リハーサルで生音を聴いた私は「マイク無しでも良かったのでは?」と思った程。

この楽器を作った職人さんは、楽器が被爆という壮絶な運命を辿ることを、果たして想像していただろうか。

このピアノの持ち主はどんな方だったのだろうか。

今現在もご存命なのだろうか。

製作者も持ち主も、顔も名前も知らない、言ってみれば他人。

けれども、不思議と感じられました。

楽器製作者やピアノの持ち主の想い。

そこに

被爆者や戦争経験者の想い

調律師の矢川さんの想い

演奏者の浅井さんの想い

ウクライナへの想い

重なり合った想いが音に宿って、会場中を駆け巡って。

平和への祈りとなって、天井に昇っていくような。そんな空間でした。

昨年11月、東日本大震災で亡くなった方が所有していたチェロを手にチャリティコンサートを続けておられる土田英順さんとご一緒させて頂いた時と、似たような感覚を覚えました。

被爆したピアノも、被災したチェロも。

楽器は、今を生きる私達がこの世を去った後も、後世に「音」という言葉で語り継いでくれるのだと思います。

飯島晶子さんの朗読は、客席での拝聴は叶わなかったものの、発せられる一つひとつの言葉に宿る凄まじい説得力が、楽屋にいるこちらにもズシンと伝わってきました。

最後に朗読して下さった、茨木のり子さんの『わたしが一番きれいだったとき』は、小学生の頃からとても好きな詩の一つだったので、何だか胸が一杯に。

公演の後半は、調律師の矢川さんの経験を元に構成された映画「おかあさんの被爆ピアノ」が上映されました。

会場の外には、映画にも登場した矢川さんのトラックが。


このトラックに載って、被爆ピアノが全国各地に運ばれているんだな、としみじみしました。

私が映画を見ながら思い返したのは、中学の修学旅行先、広島で伺った被爆者の方のお話です。

「(原爆ドームのそばの)平和記念資料館の展示を見る度に思います。私が目にした光景はあんなものじゃなかった」

お話を伺った直後に見学した平和記念資料館。しっかり目に焼き付けねば、と思いつつも、先程の言葉がずっしりと重くて、あまり頭に入ってこなかったのを今でも覚えています。

リアルに再現することが躊躇われるほどの地獄絵図が、ここ広島に広がっていたのだろうな、と。


戦争体験や被爆体験、被災体験。

当事者にしか分からない思いは、必ずあります。非当事者が、当事者の気持ちを100%汲み取るのは、悲しい哉不可能だと思います。

非当事者の私は、当事者に対して安直に「お気持ち、分かります」とは口が裂けても言えません。

というか絶対に言いたくない。

けれども「分かりたい、知りたい」とは思います。知ろうとすることに意味がある。それが、後世に伝えていく原点になる。そう信じたいです。

今回は地元つくばだけでなく、埼玉や神奈川など、遠方からも知人や生徒さんがお越し下さいました。

頂いたプレゼント。お気遣いありがとうございます。

中央に写っているお花(なんとこちら、石鹸で出来ています!)と、右のメッセージカードをくれたのは、日頃からオンラインレッスンをさせて頂いている中学生のMちゃんです。

Mちゃんとのツーショット。お母さまと一緒に、お住まいの埼玉から茨城まで片道3時間(!)という遠方から遥々お越し下さいました。

昨年のいばらき応援コンサート(水戸)に続いて足を運んで下さり、、何とお礼をお伝えすれば良いのやら。。

応援コンサートの際は

こんな素敵なイラストをプレゼントしてくれたMちゃん。偶然にも、当日私が着ていたピンク色のドレスを着た似顔絵でした。

今回頂いたメッセージカードを開くと、


何時間もかけて描いてくれた力作のイラスト(凄過ぎる!)と、

心のこもったメッセージが…(T_T)

前回に続き、今回も私が着ていたドレスと色もデザインもそっくり(というかそのもの!)なドレスを纏った似顔絵を描いてくれました。

勿論「当日何の衣装を着るか」などという話は、Mちゃんには全く知らせていないにもかかわらず、です。

ニ年連続で起こったミラクル!笑

昨年頂いたイラストと一緒に、レッスン室に飾らせて貰っています。

コロナ禍になり、オンラインレッスンが普及したからこそ遠方に住むMちゃんとご縁があって、こうしてレッスンさせて頂いている訳ですが。

オンラインは対面レッスンと比較して、どうしても行き届かない部分があるのは否めません。しかも初めて楽器に取り組む生徒さんにとって、初回レッスンからオンラインというのは、相当ハードルが高いはず。

それでも自分自身をよく観察し、積極的に質問してくれたり、画面の向こうからこちらの意図を一生懸命汲み取ろうとしてくれる意欲と、

学校の勉強や、幼少から続けているピアノだけでも多忙なはずなのに、ヴァイオリンのレッスンも決して手を抜かない姿勢に、頭が上がりません。

素晴らしいご縁に感謝すると同時に「ヴァイオリンは楽しい、これからも続けていきたい」と思ってくれた彼女の思いに応えられるよう、頑張ります。

色んな意味で、この夏の忘れられない一時となりました。

過去の大戦で亡くなられた方々に想いを馳せ、ウクライナに一日でも平和な日常が戻ることを祈ります。

みらいのもり保育園にて

少し時間が経ってしまいましたが、、

7月25日(月)は、みらいのもり保育園にお邪魔しました。

生方幸子さんと保育園の先生方、学童スタッフの皆さまにお礼申し上げます。ありがとうございました。

リハーサル中の一コマ。演奏に誘われて飛び出してきた子が、バッチリ拍に合わせて手を叩いていました。すごい!

本番。演奏だけでなく、

絵本の読み聞かせも。『わたしのワンピース』、大好きな絵本だったなぁ。

今回は園児の皆さんに加え、学童の皆さんにも演奏を聴いて貰いました。こちらは音楽付きの絵本『ねこのピート』。

生方さんと一緒に演奏させて頂くのは数ヶ月振りで、とにかく楽しかった!元気な子供達の様子に、こちらがパワーを頂きました。

保育園や幼稚園、母親クラブなど、これまで主に未就学の子供達を対象に活動されてきた生方さん。

学童の皆さんに演奏や読み聞かせを聴いて貰うのは今回が初、とのことでしたが、選曲や本のチョイスも素晴らしく、流石でした。。

子供達にとって、夏の思い出の一コマになってくれたら嬉しいです。

作曲家からのエール

7月23日(土)は、桐朋学園大学附属子供のための音楽教室(水戸教室)の特別講座を聴講させて頂きました。

水戸教室ソルフェージュ科主任であり、桐朋学園ソルフェージュや作曲の講師を勤めていらっしゃる森山智宏先生。

在学中は残念ながらご縁が無かったものの、先生の授業は非常に評判が高かったのをよく覚えています。

今回の講座は「今から100年前の演奏(録音)を、ソルフェージュ的な観点から紐解く」というもの。

次のような言葉で講座はスタートしました。

「皆さん、レッスンで先生からこんなことを言われませんか?『作曲家の気持ちになって演奏しましょう』と。

今から100年前に録音を残した演奏家達は、今を生きる私達よりも作曲家と近い時代を生きた人達です。

その人達の演奏に『作曲家の気持ちを知る』ヒントが隠れているかもしれません。一緒に聴いてみましょう」

そうおっしゃって先生が聴かせて下さったのは、ピアニストのパハマン(Vladimir de Pachmann 1848-1933)が演奏するショパンノクターン

その演奏はロマン派後期のスタイルを踏襲していて、右手と左手のタイミングをずらす(左手が先行する)、というもの。

ショパンはピアニストの手の役割について
「左手は指揮者(理性)で、右手は歌(感情)」
と語ったそうですが、まさしくその言葉を体現した演奏。

譜面に書かれていない音も沢山聴こえてきて、生徒さん達、目を白黒させていました。先生曰く「当時の演奏家は皆、即興的な演奏が出来た」とのこと。

先生はノクターンの他にもパハマンの音源をかけて下さいました。『黒鍵』のライブ録音はミスタッチだらけ、途中で曲の冒頭から弾き直す上に喋りながら演奏。何という自由さ!

今では考えられないことですが、そういうおおらかな時代があったんですね。

しかし、パハマンの音は録音状態の悪さが全く気にならない程の美音で、即興性も含め際立った個性は、現代の演奏家からはあまり聴かれないものかもしれません。

パハマンをはじめ、100年前の演奏家が譜面の指示からはみ出した、極端とも言える表現をしていたのは何故か?

その背景にあったのは第一次、第二次世界大戦

先行きの見えない不安を抱えているからこそ、過剰な表現が好まれた訳です。「芸術家はその時代に足りないものを表現する。それは芸術家の宿命でもある」と先生はおっしゃっていました。芸術は社会情勢の影響をもろに受ける分野です、と。

そんな宿命と共に生きた芸術家はマーラーシェーンベルク、あの『叫び』で有名なムンク、などなど。彼らは「表現主義」という一派で括られる人々です。

その一方、パハマンとは対照的なピアニストとして先生が紹介して下さったのがギーゼキング(Walter Wilhelm Gieseking 1895-1956)。彼が演奏するモーツァルトソナタKV310と、ラヴェルクープランの墓』の録音をかけて下さいました。

こちらも音の美しさは抜群ながら、カッチリとした几帳面な演奏。パハマンと比べると、現代の演奏家のスタイルに随分近付いた印象です。

演奏のスタイルが何故変化したのか?

先生はドイツ音楽とフランス音楽の違いにそのヒントが隠されている、とおっしゃいます。

先程聴いたモーツァルト(オーストリア、ドイツ系)とラヴェル(フランス)、両者は作曲年代に隔たりはあるものの、譜面を見ずとも一聴するだけで全く違う音楽だと分かる。ドイツとフランスは隣国同士なのだから、もっと似通った音楽になっても良さそうなのに、と。

両者の音楽の違い。その背景にあったのも、また「戦争」でした。

1871年に勃発した普仏戦争で、フランスはプロイセン(現在のドイツ)に敗北。

これを機に、これまでドイツのスタイルを踏襲してきたフランスの作曲家達は「フランス独自の音楽を生み出す」方向に舵を切ります。国民音楽業界が発足し、サン=サーンスフォーレ、フランクといった名だたる作曲家が会員に名を連ねました。

その延長線上にいるのがラヴェルという作曲家。

以下、先生が紹介して下さったラヴェルの言葉です。

演奏家は作曲家の奴隷である」

演奏家は、譜面に書かれた作曲家の指示を守って演奏する。「不安の表現」だった「表現主義」とは逆の潮流、「新古典主義」の誕生です。

演奏家が作曲家の意図を音で再現する、それはすなわち戦争で破壊された街を再生させることと重なります。

ギーゼキングは著書『ピアノとともに』の中で、「まず技術(テクニック)、ついで表現と魂であって、決してこの逆ではない!」と断言。先生は高校生の頃にこの本を読んで、大いにショックを受けたそうです。

ギーゼキングはドイツ人ですが、レパートリーの中心はラヴェルドビュッシーといったフランスの作品。ドイツ人だからドイツの音楽しか表現出来ないのではなく「技術さえあればどの国、時代の音楽も表現出来る」という考えを持っていました。現代の演奏家に幅広いレパートリーが要求されるようになった源流はここにある、とのこと。

さらにはテクノロジーの発達に伴って録音技術も向上。ライブだけではなく「同じ演奏(録音)を繰り返し聴く」という習慣の定着により、演奏家にミスは許されなくなりました(技術至上主義)。

ここで先生は再び疑問を投げかけます。

ギーゼキングの音は美しいが、それは音楽的に裏付けされたものなのか?と。

ウルトラスーパーなテクニシャンだったギーゼキングに演奏出来ない曲など無さそうですが、実は唯一演奏出来なかった作曲家がいたそうです。

それはショパン

その事実が、決して「技術>心、魂」ではないことを物語っているように感じました。

歴史を知ることと、音楽や美術を知ることは必ずリンクしています。私達は今社会で起こっていることから逃れられない。

先生はご自身の歩みを振り返りながら、次のようなお話で講座を締めくくりました。

「私は大学で作曲を専攻しましたが、高校時代はピアノ専攻でした。演奏技術を競い合う、技術至上主義から脱落した人間ともいえる。

今は物凄いテクニックを持った演奏家達がひしめき合っています。そのテクニックは演奏家の努力によって獲得されたもので、それ自体は尊敬に値するものです。

でも、先程聴いた100年前の演奏を思い出して欲しい。それらの演奏は、たとえミスがあっても個性的で、音楽的にグッときます。ミスがあるからこそ美しいともいえる。

楽譜を通り抜けた先に、音楽があるんです。

技術至上主義からは逃れられないけれども、100年前の演奏から、是非イマジネーションを広げて欲しいです」

講座を拝聴した後、私が抱いた感想。

10代の時にこの講座を拝聴していたら、当時の私はもう少し救われたかもしれない。

高校時代の私は、超がつくほどの不器用な癖に完璧主義が過ぎる頑固な学生で、パガニーニに悪戦苦闘していました。

見るに見かねた先生から「パガニーニを技術的に完璧に演奏出来る演奏家なんて、世界でも片手で数えられる程しかいないんだから、もっと音楽的な演奏を目指そう」と諭されるも、その言葉は「演奏家としての敗北、脱落」を宣言されたように響いて、私は頑として首を縦に振りませんでした。

その悪戦苦闘も泥沼に突入すると、自分が演奏することへの疑念が頭をもたげるようになりました。

それは、自分より遥かに優秀な学生達に囲まれた環境下で「自分が演奏する意味を見出だせない」ということに加えて、どの先生も異口同音におっしゃる「楽譜を再現する」ということとも繋がっていました。

作曲家を、過去をリスペクトする、という考え方自体は好きでしたが、一方で演奏家の役割として、その一点ばかりが強調されているように感じ、「だったらこんなに沢山演奏家がいるのは何故?楽譜の再現だけが目的なら、演奏家はそんなに沢山要らないんじゃないの?」と。

(ここまで強くないものの、先生に似たようなことを質問して困らせたような…本当に面倒くさい学生だな。苦笑)

何故自分が演奏するのか。

それを探るヒントは、100年前の演奏に隠れているかもしれない。

小学生の頃、クライスラーの自作自演を初めて聴いた時「曲を作った本人なのに、全然譜面通りに弾いていない!何で!?でも凄く綺麗!」と感動した記憶が蘇ってきました。

また先生の講座の内容は、少し意外にも感じました。

先生という立場であれば「ソルフェージュ能力の向上につとめなさい」「譜面通りにきっちり弾きなさい」「作曲家をリスペクトしましょう」といったことをおっしゃるのかな、と思いきや。

ソルフェージュの先生、作曲の先生という立場を超え、一音楽家として「楽譜を通り抜けた先に音楽がある」という熱弁は、まさに今を生きる作曲家からのエール。

講座を拝聴して、こんなに励まされるとは思ってもみませんでした。

そうだった。桐朋の先生方は、私達学生を「生徒」と思って接するのではなく、「一音楽家」として接して下さる方々ばかりでした。

圧倒的な知識と情熱で、素晴らしい言葉を届けて下さった森山先生と、講座を企画して下さった水戸教室の先生方にお礼申し上げます。

本当にありがとうございました!

「心の窓」という名の目

先月、二つの展覧会に行ってきました。


一つ目は泉屋博古館東京の「光陰礼賛展」。

フライヤーの紹介を抜粋します。

光を追い求めた印象派と、陰影表現による実在感を追求した古典派を「光陰」と捉え、この「光陰」二つの流れから滋養を受けて展開した日本近代洋画の数々を絵画史の流れにそって紹介するものです。

一つつの手法に固執することなく、次々と新たな表現を取り入れては、過去の表現に立ち戻ってみたり…
画家達が模索を繰り返す過程が伝わってきました。

印象派と古典派の影響を受けた日本画家達の作品も、非常に興味深かったです。

同じ時代を生きた作家同士がお互いに影響しあいながら育まれてきた文化。その堆積が今日の絵画に繋がっているんだな、としみじみ。

一つ一つの作品は、紹介文と共にキャッチコピーも添えられていました。

他の展覧会でこのような例は見かけたことがなく(実際どうなんでしょうか)、新鮮さを感じると同時に絵を端的に表現したフレーズには唸ってしまいました。素晴らしい…!

チケットの半券と、お土産に購入したクリアファイル。

こちらのファイルはモネの作品で、彼の二番目の妻とその娘が描かれているのですが、この二人は

最近読了したばかりの『ジヴェルニーの食卓』(原田マハ著)にも登場する人物でして、不思議とご縁を感じました。。

今回初めて訪れたこちらの美術館は、サントリーホールからも徒歩圏内。

一日お休みの日であれば、展覧会と演奏会のハシゴという、私的には最高な休日を過ごせそう。フフフ…

二つ目はそのまま新宿まで足を伸ばして辿り着いたこちら。

SOMPO美術館の「スイス プチ・パレ美術館展」。

こちらも公式サイトの紹介を抜粋します。

19世紀後半から20世紀初頭のパリでは、印象派、新印象派ナビ派フォーヴィスムキュビスム、エコール・ド・パリという新しい絵画の動向が次々と現れました。本展では全体を6章に分け、それぞれの絵画動向の特徴を分かりやすくご紹介します。

こちらも見応えがありました。

音楽を奏でる人間として、フランスといえば印象派のイメージばかりが先行してしまうのですが、

社会の激動と共に多種多彩な美術運動が咲き乱れたからこそ、パリは芸術の都と称される街に発展していったのだな、と。

私は「美術館に行くのが好き」と言うと「音楽のために美術鑑賞するの?」と質問されることがあります(恐らく教養的な意味合いかと)。

正直なところ「音楽のために」鑑賞している感覚は全くありません。

恥ずかしい話、美術史や西洋史にそこまで明るくもない(^_^;)

ただ、知識がなくとも展示されている作品と音楽は自然と結びつきます。

勿論絵画や彫刻といった造形も、音楽と同様に古今東西、幅広い作品が存在しますから一概には言えませんが、

特にヨーロッパの美術館から出展された企画展に出向くと、普段演奏しているクラシック音楽と同じ時代、あるいは同じ地域で生み出された作品が多数展示されるため、

それらを見つめることで、頭を動かすよりも先に、心の中で点と点がスッと結びいく感覚があるのは確かです。

私は常々、画家の目は「心の窓」だと感じています。

「心の窓」を通して切り取られた風景や人物をじっくり眺めていると、その時代の空気や土地の匂いが立ち昇ってくる。

同じ時代の空気を吸った、あるいは同じ土地の土を踏んだ画家と作曲家に、共通点がないと言う方が難しい気がします。

音楽だろうが美術だろうが、どんな形のアートも社会や地域性、時代の変化と無関係ではいられないから。

今起きている社会の変化、時代の変化に対して敏感でありたいと思う、今日この頃です。